東京・新宿よりネットの端っこで奴隷のように地道に過ごしていく日記。Since2006。tx = urashinjuku

 
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2020年12月19日

メール添付ファイル、勝手に拡張子の後ろ側にアンダーバーがつく場合の修正方法

メールソフトの設定が勝手に変わったのか、通常の添付ファイルが全部拡張子変更されて困っている人へ。

.xl_ や.pd_ などもやっとする拡張子になったりしていませんか。.xls(xlsx)や.pdfに名前を変更してやれば開くのだが、

2020年12月9日

夢日記総集編

event_note12/09/2020 editBy tx (urashinjuku) forumNo comments

夢日記というのを起き掛けにtwtterでつけているのだが恐ろしくたまってきていたので、自分で見返すためにもあえてここで紹介する。たぶん最初2分くらいは(twitterのウィジェット数が多すぎて)読み込みが遅くなると思うので、文字だけで読み進める前に2分くらい待ってみるといい。コーヒーでも取りに行って淹れてくるとちょうどいいと思うよ。

2020年10月23日

親世代の倒れる季節

event_note10/23/2020 editBy tx (urashinjuku) forumNo comments
(C)すしぱく PAKUTASO提供
写真提供PAKUTASO(C)すしぱく

昔から10月11月12月は季節が寒くなっていく変わり目。自分的には葬式が多かったりするイメージがある。単に体調を崩しやすかったり病状が悪化しやすいというだけなのかもしれないが。私のまわりでは、親戚のおじさんが先日倒れた。面会謝絶状態のようだが、その後病院の適切な処置もあってか、どうにか持ち直したようだ。

2020年9月18日

思ったように通知を選別したいのに、そうもいかないスマホの仕様

event_note9/18/2020 editBy tx (urashinjuku) forumNo comments

イラスト:素材女

久しぶりの日記

この日記を読みに来るわずかなみなさん、コロナ問題には無縁でしょうか。取引先あたりや、近所でも普通に出ているのですが、一般に公開されていないケースが多いので、「あー〇〇局、きょう回収にこないですよ」とか、そういったことでああコロナか、と知るこの頃。日記もかなり放置してますが、日記なんて書きたいときに書けばいいのであって、一応そういうルールだから長く続いてきたともいえるのだが、それだけにあまりに日記自体に意味がないというか、アクセスの多いのは大半がデジタルガジェットという。でも別に商売じゃないので、デジタルガジェットばかりにもしたくはない。日記というのは書きたいものを書く、そういうものだ。

2020年8月13日

かつての特技(記事変更)

event_note8/13/2020 editBy tx (urashinjuku)
HXR-NX100=C1(SONY)

本を出しながらスカパー! で映像制作という時代

みなさんは、特技というのをお持ちだろうか。 僕は、かれこれ20年くらい前だろうか、スカパー!がまだパーフェクTV!だった頃、本業は出版だったが、バーターでのPRという建前で、在職したまま、CS放送のテレビ局いくつか企画を持ちこんでは、番組を制作・編集していた。

300チャンネルという多チャンネル時代になったとき、当然ながら需要は二の次だが一挙に何百というチャンネルが出来たわけで、急激な作り手の不足が生じ、枠は空いていた。つまり、企画という企画は通るのである。金は1番組数万円~20万円までしか出ないが。

当然プロ用機材で全部作るなんてことはなく、各局DV(デジタルビデオ)程度の編集だけできても番組というのは納品できたわけだ(そこから検品試写→DVCAM等送出機材へのダビング→送出会社のカートに搬入→予定された定時に放送となる)。
素人機材でも作れた理由は、当時ちょうどパソコンのスペックが上がりDTV(デスクトップビデオ=机上でのビデオ編集)という概念がブームになってきたということもある。出版で言うDTP(デスクトップパブリッシング=マックで印刷用の最終フィルムデータまで作れる)と同一線上にある。カット編集し、テロップを入れ、頭と終わりに黒味とカラーバー、音割れがないように、ノーマライズとリミッター処理、それで、局納品データまでは作れていた。ここまでの作業、アナログ編集でオペレーターつきのスタジオに入っていたら、数十万円が発生する作業なのだが、自分でやればタダなのだ。

僕は、DTPも当然できたが、そういう動画の編集に長けていた(納期に間に合ったかは別として)。 なんで、ビデオの編集ができたかっていうと、編集者だった頃、出版物にCD-ROMをつける「マルチメディアブーム」というやつが来たことがあって、当時は雑誌のCD-ROMも通常は外注に出すところを、わたしのいた職場では内製していたのだ。予算のせいもあるが、逆に内部の人間が知識を持っていたほうが、無限のアイデアを実現できるからだ。

というのは体裁で、あえて万が一無職になったときに、くいっぱぐれない知識をつけておきたかったということもある。

動画編集の知識は、そういう環境もあり、相当早い段階で身につけられた。 

ビデオは当時アナログビデオからデジタルビデオに移りつつあって、テープとテープをガチンコでアナログ編集していた時代は終わりつつあり、タイムライン上にビデオを配置するデジタルでの編集が主流に変わりつつあった。
期せずしてCD-ROM、DVD、DVD-ROM、DV、DVCAMと数多くのメディアをこなせるようになっていた。 そうすると、食えるでしょ? と思うじゃないですか。

映像で食うには機材更新に食らいついていく必要がある


でも、この当時の特技、全然生きてないんですよ。 基本の編集技術はそんな変わってないんですが、なぜ生きないのか、というと、理由は、プロ用のデジタルメディアのフォーマットが、気が付くと大幅に世代交代していたわけです。ブルーレイ全盛、16:9へのカメラの移行、HD画質と。まあ金が出せれば、それも対応できるんですが。

最近ではNXCAM(=写真のカメラ)ってなんだよという感じで。
でも、いまは機材の下側はかなりすそ野が広がって、お手持ちのスマートフォン等でも、対応していれば簡単に4Kくらいまでの素材映像は撮れる時代にはなっているわけですが、それでも格編集には、現在のフォーマットに対応したあたらしい機材やソフトウェアが必要になっていくんです。 

あたらしい機械、買ってもいいんですが、資金回収の目途がないと、そうそう決断もできないわけで。 いま、Youtubeの時代になって、あー、こっちの方面でも番組制作やっとけばよかったなと反省です。

しばらく現場を離れてしまうとあんまり特技も意味がなくなってしまっていますね。そもそも表現をしたいテーマがかつてと違ってないですから。ロートルだし。

映像制作は間違いなく楽しい


でも、映像というのは楽しいんですよね。間違いなく楽しい。 昔、パラダイステレビで小金を稼いだ老人がはじめて、TBSサービス辺りに出資を乞うてもうまくいかず、結局自爆(サイト閉鎖)した、誰も言及しない「新宿放送局」というところが、新宿御苑のあたりにありましたが、ああいう明らかに儲からないことをやる、という自爆をしてもいいくらいの楽しみはあるのですよ。 映像には。

また昔は、映像作家と名乗っていれば実態は無職でも、かっこよかった時代もありましたね。

ここから下の記事、内容的に某広告会社でひっかかったので削除しました(強制終了)

2020年7月25日

コロナ禍で好調な業種ってあるの?

event_note7/25/2020 editBy tx (urashinjuku) forumNo comments
感染防止 パーテーション アイコン/作者:berlina 写真AC提供
コロナどうですか。影響を受けない業界もそれなりにあるにせよ、影響を受けるところでは売上前年比9割減とか、商品の委託品でも返品率150%とか(以前に送ったものごと返ってくるとか)、恐ろしく正気の沙汰とは思えない数字が2020年の4-6月ぐらいには、結構な会社やお店で出ていると思われます。

正直、私のところはそれほどの影響は受けなかったのですが、ダメだったところのほうが当たり前に多かったんじゃあないでしょうか。

 他の国でもそうですが、当然ながら世の中、会社ですべてが成り立っているわけではありません。個人店もいっぱいあるでしょうし、むしろそういうところこそ影響を受けていると思われます、だいたい個人事業や零細店舗では内部留保すらないなんていうケースはザラじゃないでしょうか。そうするとそういう無茶な数字が出て収束の当てがないとなったらどうすればいいかというと、金を借りるか、減免してもらうか、たたむしかないわけですよね。 

2020年6月5日

釜山の5番目

event_note6/05/2020 editBy tx (urashinjuku) forumNo comments

最高のコミュニケーションを取り持つ屋台

僕は韓国が好きなのだが、その中でも釜山ロッテホテル脇の屋台街で5番目といわれるお店が好きだった。たぶん1回くらい日記に書いてるんじゃないかな。いまはあるかどうかはわからない。食べ物がおいしいわけじゃない。ただ、日本語が通じる、という1点につきるのだ。おばちゃんが1人で切り盛りしている。

ひとり釜山旅行をしていたとき、偶然見つけたこの店は非常に楽しかった。なにしろ言葉に悩む必要がないからね。隣にたまたま来た、韓国の知らないベンチャー独立したおっさんとしゃべって意気投合した。まだ翻訳ソフトなんてまともに使えない時代。5番目のおばちゃんは、ベンチャーおっさんの韓国語と僕の日本語を上手にとりもって翻訳してくれた。

ベンチャーおっさんには、帰国後、いただいた名刺のところに翻訳ソフトで書いた手紙を送ったが、返事はこなかった。そりゃ飲んでる時はこちらの素性なんてわかりはしない。当時はこちらはコンピュータ周りでもちょっと大人向けなお仕事をメインでやっていたので、ベンチャーのなんの得にもならない、しかも儒教国家で敬遠されるのはいたしかたない。


海の向こうで歌舞伎町に逢う

店のテントにはDX歌舞伎町のメンツが来た記念のマジックペンによる書き込みがされていた。DX歌舞伎町といえば、歌舞伎町の〇〇〇〇〇小屋だ。海を隔てて、こんなところで歌舞伎町と出会うとは。あとはよく町場の居酒屋にあるように、名刺がいっぱい貼られていた。

おばちゃんが日本語しゃべれる理由

さて、夜も遅くなった。韓国人客もほとんど店いなくなり、さびしく木枯らしが吹いてきても、おばちゃんは閉店近くまで僕を店においてくれた。なんで日本語しゃべれるのかを聞いてみると、たしか身内が1人日本に留学か就職かしていたのだと思われる(さすがに経年しすぎて、記憶があいまい)。でもそれだけ日本というのは、実際には身近な場所なのだ。

いまはまだあるのだろうか? どちらにしても、行ったところで、僕のことなど覚えているはずもないのだが、韓国おばちゃんの優しさ(時に酷い人もいるが、おおむね優しい)は、知り合いの誰1人いない異国では気持ちを和ませてくれる。

早くコロナ収束して、普通にならないかな、そして、外国に行くことができるようにならないかな。