契約書のないままのものは流通させないでほしい
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図版提供:エコのモト |
某書籍で出版社と著者が、本が出る前からもめてはいたものの、本が出ても版元から初版部数通知もなく、契約書もなく音沙汰なしという話をネットで目にした。思ったのは(※この日記は下書きして時間が経っているので、すでに解決していたらすみません)、まあ書き手も出したり消したり、言ったことひるがえしたりする人だったからこうなるのもしょうがないなというイメージもあるのだが、版元が問題だし、むしろ作家には非はない。だけど、それよりも根源的に、日本の出版全体の契約システムが、いまだに甘いなということは痛感する。
結局作者ともめてようがどうあろうが、原稿が揃うと契約書締結前に発刊が可能な今の仕組みというの、昭和の頃から何度となく問題になってきているのに、何十年経過して令和となっても、いまだ発注書も契約書も整わない会社が多い。もうなんとも業界自体が時代遅れだよなあという感じがする。不動産で契約書なしなんてことはまずないのに、なぜかあの世界は、昔から「なあなあ」なまんまである。
特に単発仕事で口頭でのお話でギャラが払われなかったことのある人って、雑誌でも新聞でも(ましてや広げていけばテレビでも、広告代理店《プレゼンまでの過程》でも)1度や2度、いやそれ以上はあるのではないだろうか。発注している側の「あたおか」問題もあるにせよ…。出版だけというよりマス全体かもしれないが、わりといまだに雑なんだと思う。
今10%に消費税が上がったが、その前の8%になったころからか、「力関係による下請けへの消費税転嫁問題(つまり税が上がった時に税インクルードで実質的なギャラを税額アップ分下げるというひどい仕組み)」があり、それについては一応法的には禁止なので違法企業密告のシステムが出来上がっており、確定申告税務署類とともに、申告者に違法転嫁はないかアンケートが届くようになっている。そのためかここ数年は毎年のように悪質なところには行政指導等の介入があり、さすがに上場しているまともなところ、知る範囲のいくつかは、都度発注書をよこしたり、上乗せで払うようにようになっている。
そういう税のような部分にはわりと早く従ったところが多いようだが、この業界の「払わなくてもいい、泣け」というような自浄性のなさ。担当者個人の責任に帰結させがちだが、作り手の所属企業、さらにはいわゆる業界団体の管理の甘さによるものが大きい。企業が「発注書は必ず作る」、業界団体が「契約書のないものは流通させない」くらいの子供を管理するような決まり事があれば、ある程度は解決するのだ。
下手すると著者に金払わずに勝手に出せるという感覚、昔もいくつかの版元で編集プロダクションあたりがやらかしたことがあるし、電子が立ち上がった時もあって、へたすると電子だと著者が気が付くまで…みたいなのが今もある。「紙で出してるんだから電子で出してもいいでしょ」みたいなところが(初期の)業界にはあったし、その際に「企業側がもうからないと元の人に払う必要ないでしょ」的な考えも蔓延しつつあって、その上から目線に反吐が出るところもある。
企業ブランドがあるから(出してあげる)、みたいなのは確かにあって、それにこびへつらってきた人もいっぱいいるが、全体が下降してきた頃からその威光は昔よりもずっと弱体化している。初版は絞られていくが、絞られすぎるとそこでやる意味は? となってしまい、同人で出したほうが部数が多いということになってしまう。固執しない人なら、個人出版社なりファンから集金できるサイトなり、もっと中抜かないところで出したほうがましだからだ。それでもブランドで出すのは、その世界に首をつっこんでいたほうがいいという判断だったり、名を上げていく必要だったり、そんなところだ。似たように、最近のテレビも影響力が下がっている。ゴールデンあるいは話題になる番組以外は「出ないほうが得」みたいな判断をよく飲食店や、ネット側に軸足を置く人、本のパブなんかも含めてよく聞く。
令和になってジェンダー問題やら、暴力(性的なものを含む)やら、政治の腐り方とかいろんな要素が表面化してはアップデートされているのに、出版畑やマスコミ全般に、いまだ昭和末期から感覚変わってないおっさん(若者でも)が多いわけで、早くそういう(支払いがやたら甘いという)体質もアップデートされてほしくてしょうがない。
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