2020年8月13日
2020年10月23日
300チャンネルという多チャンネル時代になったとき、当然ながら需要は二の次だが一挙に何百というチャンネルが出来たわけで、急激な作り手の不足が生じ、枠は空いていた。つまり、企画という企画は通るのである。金は1番組数万円~20万円までしか出ないが。
当然プロ用機材で全部作るなんてことはなく、各局DV(デジタルビデオ)程度の編集だけできても番組というのは納品できたわけだ(そこから検品試写→DVCAM等送出機材へのダビング→送出会社のカートに搬入→予定された定時に放送となる)。
素人機材でも作れた理由は、当時ちょうどパソコンのスペックが上がりDTV(デスクトップビデオ=机上でのビデオ編集)という概念がブームになってきたということもある。出版で言うDTP(デスクトップパブリッシング=マックで印刷用の最終フィルムデータまで作れる)と同一線上にある。カット編集し、テロップを入れ、頭と終わりに黒味とカラーバー、音割れがないように、ノーマライズとリミッター処理、それで、局納品データまでは作れていた。ここまでの作業、アナログ編集でオペレーターつきのスタジオに入っていたら、数十万円が発生する作業なのだが、自分でやればタダなのだ。
僕は、DTPも当然できたが、そういう動画の編集に長けていた(納期に間に合ったかは別として)。
なんで、ビデオの編集ができたかっていうと、編集者だった頃、出版物にCD-ROMをつける「マルチメディアブーム」というやつが来たことがあって、当時は雑誌のCD-ROMも通常は外注に出すところを、わたしのいた職場では内製していたのだ。予算のせいもあるが、逆に内部の人間が知識を持っていたほうが、無限のアイデアを実現できるからだ。
というのは体裁で、あえて万が一無職になったときに、くいっぱぐれない知識をつけておきたかったということもある。
動画編集の知識は、そういう環境もあり、相当早い段階で身につけられた。
ビデオは当時アナログビデオからデジタルビデオに移りつつあって、テープとテープをガチンコでアナログ編集していた時代は終わりつつあり、タイムライン上にビデオを配置するデジタルでの編集が主流に変わりつつあった。
期せずしてCD-ROM、DVD、DVD-ROM、DV、DVCAMと数多くのメディアをこなせるようになっていた。
そうすると、食えるでしょ? と思うじゃないですか。
でも、この当時の特技、全然生きてないんですよ。
基本の編集技術はそんな変わってないんですが、なぜ生きないのか、というと、理由は、プロ用のデジタルメディアのフォーマットが、気が付くと大幅に世代交代していたわけです。ブルーレイ全盛、16:9へのカメラの移行、HD画質と。まあ金が出せれば、それも対応できるんですが。
最近ではNXCAM(=写真のカメラ)ってなんだよという感じで。
でも、いまは機材の下側はかなりすそ野が広がって、お手持ちのスマートフォン等でも、対応していれば簡単に4Kくらいまでの素材映像は撮れる時代にはなっているわけですが、それでも格編集には、現在のフォーマットに対応したあたらしい機材やソフトウェアが必要になっていくんです。
あたらしい機械、買ってもいいんですが、資金回収の目途がないと、そうそう決断もできないわけで。
いま、Youtubeの時代になって、あー、こっちの方面でも番組制作やっとけばよかったなと反省です。
しばらく現場を離れてしまうとあんまり特技も意味がなくなってしまっていますね。そもそも表現をしたいテーマがかつてと違ってないですから。ロートルだし。
でも、映像というのは楽しいんですよね。間違いなく楽しい。
昔、パラダイステレビで小金を稼いだ老人がはじめて、TBSサービス辺りに出資を乞うてもうまくいかず、結局自爆(サイト閉鎖)した、誰も言及しない「新宿放送局」というところが、新宿御苑のあたりにありましたが、ああいう明らかに儲からないことをやる、という自爆をしてもいいくらいの楽しみはあるのですよ。 映像には。
また昔は、映像作家と名乗っていれば実態は無職でも、かっこよかった時代もありましたね。
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