カメラマン
付き合いとしては30年くらい。
結構な奇縁があるんだけど、それは個人情報が絡むのでここでは置いておくとして。
淡々とした語り口が印象な不思議な人だった。
写真は和風小道具を置くことにたけているというか、周囲に色味を入れたモデルの寝ポーズが得意なカメラマンで、 まあ編集出身ということもあり、ネーム・キャッチスペースを入れやすい写真を撮っていたと思う。カメラ出身じゃないのに ピントがぼけることもなく、私的な感情もほとんど入れない人で、写真は上手な人であった。
謙虚でもあった。工場に勤務していたこともあって、ヤ◯ザキパン出身と自分を謙遜するときもあったし。
昭和の出来事は記録に残らない
今回、亡くなってみて、SNS界隈を見ていると、生前のことにはあまり言及されておらず、 意外と付き合いの範囲が広くないのか、と思ったが、よく考えると彼の番をしているような、結構な関係者も物故者になっているのだよな。 写真集50冊以上出しているカメラマンでも、亡くなってみると案外何も言われない。 ISBNの桁も少ない時代だし、実際Amazonでも数冊しかインデックスされていないくらいだ。90年代以前のコンテンツなんて、いまのネット時代に痕跡すら残っていない。儲かったあの頃のカメラマン
彼はバブル期以降はグラビアカメラマンだったので、若い頃は結構な高収入だったはず。グラビアカメラマンって1日拘束ですが当然ながら著作権はカメラマンにあり、
日当を超えるページ稿料が出る。
当時は安いグラビア雑誌がいっぱいありました。 そういった安い媒体は、写真を使いまわします。つまり、1日撮ったら初出のみならず、それの2次3次使用料が入ってくる。下手すると10次くらいまで。
だんだん安くなりますが、 それがあるので、単純に一般の人が得る日当の10倍くらいは、1日で稼げていたはずです。
儲かっていた証には、たしか年式は古いですが、ベンツかなんかに乗っていたはずで。
印象深かった2つの出来事
彼との思い出深い撮影は、1つは城ケ崎かなんかのハウススタジオ。みかん畑が周り一面にある、景色のいいところでしたが、 帰りがけに運転手の彼が何度も高速で眠りそうになってしまい、必死で(自然に起こすため)僕が助手席から話続けていたことがすごく記憶に残っています。まあ一歩間違えばモデルさん含めてみんな死にかねないからな…。
あと「こんな偶然ある!?」っていうことがあって。
どちらかというと、モデルとしては宣材で選ばれないタイプの、ちょっと野性味溢れるモデルさん、なぜかたまたまキャスティングしたのですが
現場に来ると、実は当時やっていたグラビア雑誌の愛読者で、
しかも今回亡くなった某カメラマンのファンでグラビアを集めていると。
キャスティングされてうれしかった、とのこと。
確かにグラビア媒体の読者さんは、1000人に1人くらい女子がいるのですが(マンガ家・原画家さんでポーズの参考にしたり、グラビア好きで「かわいい女子が好き」等の理由が多い) 写真家を買ってる人が来たのは初めてだったのでそういう意味ではほんとにびっくりしました。
そんなモデルさんの比較的露出のあるグラビアを、柏インター辺りのホテルでスタジオ貸ししてるところで撮ったのですが、 まあ彼(カメラマン)は淡々としているのは変わらずで、違ったのは最後、全員で風呂に入ったくらいでしたね。
そんなファンが来たら、何かへんなことを考えそうなものですが、ただ思い出だけを作っていくという感じでした。
出版が儲からなくなった時代、タイへ
その後、長い時間が経過するのですが、出版業界自体がどうしょうもなくなり、カメラマンも干上がって儲からない時代がやってきたことがあります。他のカメラマンが田舎に帰ったり、人のところに居候して凌いだりする中、 彼は、日本を見限って別に住んだこともないタイへと移住するのです。しかも、地方に。
タイ語も行ってから覚えたみたいですし。セミリタイア的な側面も強いので、
しばらく動向すらわかりませんでしたが、FACEBOOKというものがあるので
(僕は読むだけですが)、 だんだんとリアルタイムでの情報もわかってくるようになった。移住されてからはだいぶ長くいたのですが、
じき、体調を崩されて、最近日本へ戻ってきた。
何かを志半ばで終えてしまったはず
彼の死後にあとからFACEBOOKで知ったのは、一度タイで脳梗塞になったと(死後他の方が言及されていた)。それは、帰国段階では僕は知らないのですが、そういえば大病をしたとは聞いていた。まあ本人自体が「長くないけど最後になんかやるので戻ってきた」ようなことを、帰ってきたときには言っており、確かに体調としてはそんなにすぐれてないような様子ではありました。
昨年だったか、一昨年だったか、挨拶に来た仕事場の廊下で、敬礼のような、やあというよなアクションをして目があったのが、僕としては彼とあった最後だったかな。
死後見たFACEBOOKではタイのゴルフコーディネーターもやっており、それが彼の死で事業としてはなくなってしまうのかなあと思うと、なんとももったいない感じ。
最後は中野に住まわれており、知人と半月くらい連絡がとれなくなっていたところ、不動産業者側の報告では亡くなっておられたと。わからないが、脳梗塞の再発だろうか。
結婚しない人は(彼、結婚していた時期もあったかな?)、症状が出た時に救急車を呼んだりしてくれる人がいないことから、そのような終わり方になってしまうことが多いのだが、それはそれで当たり前で。今後日本では、こういうことが増えていくんでしょう。
低い声で「亡くなっちゃったよ…」とかボソッといいそうなお方でした。
お世話になりました
こういう場合葬儀もないのかもしれませんが、 なかなか誰も情報をつかんでいないんだよなあ。死に目、またそれ以降には(どこに埋葬されたかもわからないため、手を合わせる機会もなく)会えなくなる人が多い。作家さんとか。俺もそうなるんだけど。
なんか、すごく世話になった人なので、雲をつかむような、あーどっかにいるんだろうなあ、辺りでおわる、そういうのはほんとうに残念には思います。
T県のご実家のお墓に入るのでしょうか。
わかることがあれば、手を合わせに行ったりしたいものです。

写真は彼のtwitterの背景画(あえて最後なので「盗用」します)。twitterは2フォロワーと少なく、あまり活用はされていなかった模様。