生誕71年エンケン祭り
とはいえアウトプットしないと潰れてしまう。
昨日は、「生誕71年エンケン祭り~追悼・遠藤賢司」へ行ってきた。エンケンさんが亡くなってまだ半年も経過していないが、葬儀は近親者だけだったので、ファンはここまで待っていた。このイベントイコール、エンケンの死を受け入れること。事実上ファンが集える僅かな弔いの場所ではあった。
仕事を抜け出して行ったが、長丁場になりそうなライブなので、長時間食べ物もなさそうな場所で低血糖になるのが怖く、松屋でプレミアム牛めしを食べてから、渋谷クアトロに向かった。遅く行ったら原マスミや佐野さんのパートは終わっていた、大御所のミュージシャンがいっぱい出ることを考えると彼らはどうしても最初のほうになってしまうのだろうな。寂しいな。
エンケンというと遠藤憲一のほうが今は有名だが、遠藤憲一も開催記念の花台を出しているのがこのフォーク・ロックミュージシャン「遠藤賢司」の追悼イベント、「生誕71年エンケン祭り~追悼・遠藤賢司」だった。
僕は、昔は遠藤賢司さんの生家から至近距離に住んでおり、当時エンケンさんもやっていたローカルラジオ深夜番組スタッフとの付き合いもあり(当然常連投稿者としてだが)、さらにローカルなファン組織みたいなものを一時期知り合いとやっていたので、17歳から20代頭の頃に彼周囲の人々とは面識があり、いつもライブ会場では打ち上げまで入れてもらえていた。
あの時エンケンのライブに来る人達のいろんな人のつながりが基礎になって、結局この年まで惰性で仕事している所に就職も出来ていたし(受けることを常連客フリーライター/漫画原作の人に強く勧められた)、ほかにも20代の間にそれらの人脈や経験から様々な仕事が出来たので、エンケンを介した出来事は多く、エンケンには恩も縁もある人なのだ。
その頃から20代後半くらいまでは僕はエンケンライブにかなりの頻度で通っていたし、エンケンのミッチー音頭が出たときはポリドールの人とも親しかったので、実際の文字起こしは音楽評論家の例の人だったが、リリース時に超3流女子高生グラビア雑誌で、インタビューも1回行った。「やっとここまで(一緒に仕事するまで)来たね」と言われたことを今でも思い出す。今思うと、温かく見守ってくれていたのだ。が、離れてしまったのは、まあいつまでも音楽家でもないのに打ち上げまで混じるのに抵抗があったこともあるし、忙しくてライブどこではなくなっていったからだ。20代後期の頃は、会社に10年くらい月半分は寝泊まりし、14~20人体制で毎月7冊くらいは本を出す、その大半の企画に関わりすべての校正をするという気が狂った班運営をしていたので。CDは買う時もあるけど、ライブにはすっかり行かなくなってしまった。
そんな記憶の断片を数々思い出しつつ臨んだ生誕71年エンケン祭り(2018/1/31)、もうエンケンはいない。イベント(ライブ)には細野晴臣さんや、鈴木慶一、鈴木茂、遠藤ミチロウ、あがた森魚、PANTA、フラカンなど凄い人たちが集結していたが、その豪華さよりも、ライブを見ている側としてはホントは距離感の近い人たちだけが集って欲しかったところがある。エンケン・トリビュートアルバム「プログレマン」みたいになってしまうような気がしてちょっと恐れていたのだ。あのアルバムはエンケン大好きな人たちが作ったものだが、愛の度合いというのは差が出てしまうので、僕は一度聞いたきり、あまり好きではないアルバムなのだ。
ライブイベントに凄い人が揃う。確かに素晴らしいのだが、どこかずれてはいた感じも拭えない。しかし、それでもエンケンに、皆はその歌唱をささげているのは間違いはない。個人的に違和感を感じた、というか気になったのは、あの頃の有名ミュージシャン、そういう人たちは1/3くらいは名乗らない。老けていることもあり、僕としては誰が出ているのかが歌うまでわからないのだ。ワンマンしかやらないような人は、最初に名乗らない習慣がついているのだろう。
しかしこういうオムニバス1人1曲ずつのイベントで、いわゆる黄金時代のフォーク・ロックミュージシャンで名前を言わないアーティストは、まあ自分のことはみんなわかっていると思っているのだろうが、慢心していると、若い人に理解されていかなくなってしまうのではないかと思った。初見の客を大事にしないミュージシャンはだめだ。僕は、名乗った人だけを応援していく。エンケンだっていつも「我こそは……」と口上で名乗っていたではないか。表面で凄い人が集まっている、伝説だ、という人が多くとも、エンケンの精神性など判ってない人が少し居て残念だなと思ったりもする。

展示物、これはどこかに常設展示をするべきだと思うのだ(コストがかかるからそうもいかないのだろうが)。
故人の持ち物の一部は、ファンに持ってほしいということで売られていた。ファンにはまたとない機会ではあったろうが、何か寂しいものがある。
当日ライブ会場を見ながらさらに自分の記憶をまた思い出した。たぶんそうとう昔のクアトロのライブ(?)で打ち上げでステージ前に席を並べそうそうたる面々とお酒を飲んだような記憶(会場は違うかもしれない)。コメンテーターでテレビでも目にする演劇系大女優が対面にいた。エンケンさんの打ち上げではあるのだが、当然何十人と人がいて、エンケンは様々な人と話をしているので、酒の席ではエンケンの思い出はあまりないのだ。エンケンさんはライブの後、いつも多くの人に囲まれ、楽しく飲めてうらやましくもあった。
話が逸れた。
ところで2018年2月17日に遠藤賢司の映画の爆音上映がある。(テアトル新宿)検索するとほとんど出てこないが、これは見に行ったほうがいいと思うよ。アルタミラはそれよりこれらの映画コンテンツをリマスターしてブルーレイにしたり、また生前の映像(たとえばゆうせんのDVDやMUISICAIRのDVDやフジテレビの生前出演番組)を収集して再度上映したり再リリースにしていったほうがいいんじゃないのかな。
追悼といえば、孤高の純音楽家が亡くなった途端、版元2つから本も出た。本当はいろいろとエンケンとの何かをやりたい人って、いろんな業界に一杯いたんだろうなと思うが、生前から出してほしかったところもある。雑誌コード商品は、在庫が切れると入手困難になるので、買っておいた方がいい。
帰りに知り合いでもあり、エンケンとも(友達として)長い付き合いの、某俳優の奥さんでもある女優の人に会ったのだが、最初は声も掛けずに帰るつもりだったが、出口に、また知り合いの、長年のエンケンライブにはほとんどいる客である常連(こちらも面識あり、エンケンを何か自身の主催するものに呼ぶのが夢だということを20年くらい前に語っていたが実現したのだろうか、たぶん実現してないんだろうなと思う)と丁度滞留していたので声をかけた。
女優の人には「私は変わらないよ」「これもエンケンが作ってくれた縁だね」みたいなことを言われて、ちょっとは嬉しかった。「健康ですか」と聞かれて、自分は返事を言い澱んだ。