GMOと初詣と不謹慎
別館に書くべき話題かもしれないがあの磐石ぶりを見せていたGMOもなかなか厳しい局面になっているようで。GMOといえばお名前ドットコムとか、ヤプログとかショッピングカート関係とかいろいろと持っている会社なんですが特にネット上の決済インフラを多く持ってるのでこけないで欲しいなぁー。GMOとして飛躍する前はインターQがあったり、その前まで戻るとテレクラWithのランタンとかいろいろあるだけに(テレクラ時代)お金を払ったりいいことがあったり広告をもらったり決済手段でお世話になったり、個人的もそうじゃないところでも長い付き合いなのだ。
さて、今年もあけた訳ですが、単純に、年始参りで護摩札を何買うかだけでも自分の中でビジネスに置く比重がすごく減ってるのがよくわかりました。いつもだと「事業繁栄」ばっかりだったんですが、「とりあえず厄災避けで」という感じ。いまだ「良縁成就」とかは恥ずかしくて買えないんですが、既に良縁があった人用だからどっちにしてもそれは論外なんだよね。いや、別に悪い縁があるわけでもないんですが。
なんとなく例年行事として護摩祈祷のところでいつも座ってお経を聞く訳なんですけど、いつもは清清しくなるはずが、今年は経文を聞きながら脳内でとある知人のボディパーツを思い浮かべたりしていました。寺だったので閻魔様がすぐ脇にいて、自分のエロ心をすぐに刀で切り裂きそうですが、男の考え方としてボディパーツだけで人をイメージすることがあるということに、意味性を考えたりしていました。脱がすという行為が必ずついてくるから部分から人をイメージできるのか、それともリアルな交接からだいぶ離れているせいで、それ以外がイメージできないのか。僕の場合は後者なのかもしれないが、いったいどっちなんだろうか。
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