見切り品と、島でわかった俺の学校のルーツ

見切り品のパン(10円)で食いつないでるし。こーいうパンもかつてはヤマザキの130円のだったから、食のコストダウンはすさまじいものがある。まーでもこれに伊勢丹で買った米油の高いマーガリンを付ける訳なので、あんまり下がってはいないか。
いろいろあって南国の小国にいかねばならないので、また旅行資金つくりのために、美空ひばり(パチンコ)で1万円ほど勝ってきた。(前に韓国に行ったときの旅行資金もパチンコ1回勝ちの資金から出してる)。大体3万勝てば、隣国あたりの場合は滞在費全部出るしね。旅行資金以外でのパチンコは一切しない方針なのだ。
ところで先日諸般の事情でやはり二十年ぶりにとある島に行ったのだが、そこのとあるホテル(廃墟)を見ていたら、銅像が建っていて、その銅像本人、安田さんという人が開拓したらしいんだけど脇を見るとそこには地味に大韓民国名も書いてあって、なぜか馬主だったらしく馬と1人1匹で廃墟から地道に海を見つめているんだよね。わざわざここを開発しようなんて思うのはえらいんだが、こうして廃墟に全身銅像だけ寂しく残っていると、胸像にすればよかったのにと思う。ねえ朴さん。
その宿大昔、通ってた学校の関係で泊まったことがあったんだよ。で、いろいろ調べてみたら昔通ってたデザイン学校が韓国系の方が学長だったことに気がついた。友人関係かスポンサーか、なんだろうね。当時は学校がこれも経営してるって聞いてたけど、名前も別人だし(本名・通名とも)知り合いで助け合いだったんでしょうね。「困ってんの? 宿泊客ならうちの学生を数百人送り込んであげるよ」という感じかしら。(妄想です)でも、写真学校ならいい絵が撮れるでしょうけど、デザイン学校としては、周りは石と海、そして10分歩いても漁港の高台にある売店くらいしか見るべきものがない。ムリを言えばこの豪華なよくわからない宮殿みたいな建築くらいか。別に課題もなく、当時まったくやる事がなくて困ったものでした。運転免許があれば島も楽しいのだが、なにしろ10代だ。2等船室で海を渡ってさらに暇しかないことに相当驚いたものです。当時も下の写真よりは古ぼけてたかな。

←こんな宿(美しい頃)TRICK2に出てるよ。
そうか~。僕も二十年前から既に半島に絡んでいた(というか、貢いでいた)のか。まあその学長自体は「これといった人には声をかけて」有名な講師を呼んできて学校を大きくしてきた人だから尊敬はできる人なんですが。二十年間、いままで学園名からは、広島県呉市の地名くらいしか想像してなかったので、学長の本名だって知らなかったことにはちょっとショックを受けたな~。
まあ、二十年ぶりに島に行かなければなんにもわかんなかったことなので、今回の旅行は非常に意義深かった。今後もいい加減な旅を続けよう。
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