雄と牝の話

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二頭の雄牛がガチバトル(闘牛の様子) 写真・(C)すしぱく/PAKUTASO提供
※広告対策があるので、あえて言葉を曲げて書いてます。誤字誤用は「わざと」です。

僕はもうすでに雄であることを放棄しているので、実家から電話がかかってきて「変わりない?」と聞かれても、その言葉の裏にある親による吉報はないのかという暗喩に対して「うん、永遠にもう変わりないんだよ」とも言えないので「変わらないよ」と言う日々を送っている。
日本人はそれにしても少子化に関してかなり鈍感だと思う。僕は児童時期から日本における男女間の「それ系」の教育というのはずっとおかしいと思っていて、そのへんの正しい教育をいつかやろうと思って入ったのがグラビア(を作るほうの)業界だという、ちょっと誤りにもほどがあるという流れで紙の仕事に数十年関わった(グラビアをやったのは頭2年くらい)。

グラビアをやっていて痛感したのは80年代くらいまでは「雄の時代」だったと思う。いわゆる「だんこん」主義の人もいっぱいいたし、それをあえて許している女の人というのはすごいなあと(いう誤解。あとに書く)。また分業のシステムがものすごくできていて、モデルプロダクションとメーカーは切り離されていたことで、どす黒い部分はプロダクションが負い、クライアントサイドは背負わないで済む仕組みとなっていたし、トラブルがあっても結局多くは相互の話し合い(最終的には金銭授受になると問題があるため3倍量頼むなど仕事の積み上げ等)で済むようになっていた。読者はブルーカラーを想定していたが、いまの10倍以上雑誌は売れていたし、出てくれる人もわけありな人が多かったが、いまだったら許容されないようなことが安易にビジネスになったという時代だし、世はバブルでわりと雑然と、男のやることは許容されていた(ように見える自分勝手な)時代だった。

でも、それもその時代、女性は不均衡な場所にいたというだけであって、そんな『「雄の世界」でいい。女性はそれを許容していた。』というのは幻想でしかないわけで、いまなんかは世の中にその反動が露骨に出ているし、ネットにはそんなことは許容しないという空気の人もわりといっぱいいる。

そのへんのバランスは難しい。もちろん、平等であるべきだと思っている。しかし、ある程度は「悪い」ことや「悪い場所」も許容しないと人は生気を失い、増えることも、ハッスルすることもない。いまは、男女間では正しいことがたくさん言えるし意見交換もできるようになったし、男の人も単純にハラスメントが世で許され難くなったことも影響はしているものの自主的な部分でも自分勝手率はだいぶ減っているはずなのだが、その代わりにまあ収入と空気と社会と、人々の「雄と牝」への幻想と思いの減退で、人は増えなくなった。

人口はこれから半分になるとか、移民でなんとかとかいろいろいってるけど、僕はこのままいくと半分どころではないことになるのは明白だし(だって歯止めがまったくかかっていないわけだし、まったく解決のめどは見えないのだ)。日本はいつか別の国にでもなってしまうんじゃないかと思う。

50代のおっさんです。 tx(urashinjuku)のプロフィールはこちらを参照。