ビジネスはがんばりすぎる必要のない「駄の世界」がいい世界かも
案外、情報の多い街というのは、遮断する要素が多くなったりするのかもしれないし、世間と同じように燃油等の上昇や携帯キャリアにお金をいっぱい取られるので、外へ出る娯楽にお金をかけられなくなっているということもあるだろうし、いちがいに土地のせいにはできないのだが。
最近、仕事の人たちも業界的には「儲からない、儲からない」と絶望している。全体的にはなんとかなってるんだが、未来が見えない。
未来は別に見えなくてもいいのだ。個人がどうあるかだから。企業に頼ってる間は企業に保守的な思考が見えるとそう考えがちだが、結局はなんか駄目になったりしたときは自分がどうあるかなんだよね。
だから、金銭だけで結びついてる人はかえって自分がどうあるかは見えていて、案外早く辞めて実家に帰ったりとか、そういう方向のほうが安心だったりするわけで。でもそういうのは何故か「できる人から」だよね。できない人は残り続ける。そういう意味では僕も出来ない人なんだよね。できないなりに駄コンテンツを生産し続けるものの、これはこれで上が見えてる。
才能があってそれで生活している人は素敵に見えるが日々セルフプロデュースもし、勝ち続ける必要がある。才能じゃなくて努力でやってた人は、積み重ねがいつ崩れるかわからないところにいる。才能でも努力でもなくて暮らせてる状況が本当はいいのかもしれない。
補助金請求したり、年金に頼りきったりするような、国に保護されている世界の人のほうがいいのかもね。大阪の役所の人の考え方とかうらやまし過ぎる。がんばりすぎて鬱になった自分としては、そーいう他力本願な「駄」的世界に憧れる。
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