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50歳を越えると終わりを意識する話

 50歳を越えると体感で終わりが見えてくるのだという。

 人のツイートを勝手に埋め込ませていただきました(twitterの規約上は、正規に埋め込めばOKになっていますが、問題あるようでしたら外しますのでご連絡ください )

 実際うちの家庭は、多分前にも書いたが墓じまいなので、この代で終わる。当然あらゆる面での終わりは意識しているのだが。普通免許をこの年になって取りに通っているのはそれの現れのひとつである(都市部ではいらないし、地方でも乗らないにこしたことはないのだが、親の今後の問題を考えると、急にかけつけたり運んだりすることもあるだろうから、取得しておくにこしたことはないのだ。もちろんそれだけではなく、楽しく乗ることも考えてはいる)。

 テレビでは芸人のいとうあさこ氏が酒の肴に家族もいないので…とよく墓の話をしていると言っていた。彼女はこの記事をポストしている時点では48歳と50歳は越えていないのだが、それでも、50歳で見えてくるものと同じようなものだ。この年齢になると実際にわりと眼の前で急に知り合いが消えて行く数が増えていく。芸人ならさらに成功を得ないまま消えていく知人も多いだろう。また、今の仕事の終わりもなんとなく見えてくる。するとそこからの余生、終わり方を考えざるを得なくなるのだ。保険にしても年金にしても老人ホームにしても。彼女があえて墓までを意識しているのは、結婚しないまま独身芸人的な立ち位置ももちろんあるが、あの年齢になるととにかくあらゆるところに可視化されて「終わり」が見えてくるということなのだ。

 そうなると、実はすごい達観するんですよ。その間の出来事を我慢する必要ってなくなるですよね。日常でアホなこと言われたり、ダメな環境にいてもスルーできるスキルがつくのはもちろんですが、いつでも止めていいかなというキモチになると何も怖くはないわけです。
 上の引用ツイートの通り、今後の選択を絞れるようになる。迷いはなくなっていく。年を経たことでここまでのタイムラインを俯瞰して客観視できる。ゴールが射程に入っている。そういう意味では未経験のまま何かをうすぼんやりと手探りしている若い状態よりも、老いっていいと思うんです。ただ若者は限りなく成功を志しているのと、死を意識する必要がないだけ、向上心の減った50代以降よりもいいのですが。
 自分の人生を振り返ると10~30代半ばまではそこそこよくて、そこからはなんとか生活は維持してますが、半分死んでるような感じ。とすると50代・60代あたりを楽しくしないと、ほんとうにそのまますぐに人生が終わっていってしまうわけで。ただ、もし子供がいたら我が子の成長のほうが大事なので、仕事やらなにやらがいかにどこまでも辛くても我慢すると思うんですよ。でもそこはうちの場合、特にないわけで。
 ならちょっとは経済的に困窮したとしても自由な時期を持っていてもいいんじゃないのかという気持ちです。平均寿命は長くなって100歳時代なんていってますけど、実際周囲で亡くなった人なんて平均寿命より10-20少ない人ザラですし。80代なんてあるかどうかもわからないわけです。もう誰も気にしなくなりつつありますが、このへんの食ばかり食べていれば、内部被曝も受けてるわけですしね。これは放射脳的なことで言ってるんじゃなくて、相当に近寄って高線量受けた人以外誰も死ななかったから検証しないままになってるわけで、内部蓄積は減衰が低いのは事実ですからね。まだ生かされてはいますけど、我々世代が安全だとは思っていません。

PIXTA素材(奥入瀬)

なにがあっても

 怒濤の一週間が過ぎていく。いつも怒濤なのだが。
 人はみんな順番にいつか死んでいくものなのだ、それが早いか遅いかだけで、この世の中のすべての人は必ず死ぬのだ。しかし、そんなことを意識しないように世の中はなっている。その事象の近くにいる人だけがそのことを意識するのだな。
 ということを考えながら歩いていると道を行くあらゆる人の死に顔を想像してしまう。失礼ではあるけれども。
 生きている人を見ながら時に亡骸を考えるのは、そういう趣味ではなく、僕の死生感なんだと思う。
 

入籍しました

twitterを見ている人は知っているが先日文化の日に入籍をしてきた。展望の見えない生活をしていてもしかしたら数年先にはホームレスになっていたかもしれないのに今入籍しているということは不思議だが、数年前にはこれは無理、というように思っていたことであっても意外と現実には実現したりするのでそれは面白い。

入籍した相手の人とはどこでどういうふうにあったかというと、相当昔から知ってる人で、約1年半くらい前か、猫居酒屋の情報を見てネットで猫居酒屋へ行こうという話になり、15年ぶりに千駄木の喫茶店で再会したのだがどうもその前から直感があったのですよね。ブログ(消去されたと思う)見てても寂しそうだったし。実際に会ったら、話としても旧知だから合うし、なによりその日の夕方から朝10時くらいまで、飲みにお付き合い頂いてしまいましたが、もうその時点であーいいんじゃないかなー、という気持ちになってましたし、最期まで看取ろうという気持ちになっていたのも確かです(通常男のほうが寿命が短いので逆なのだが)。

いやほんと一生独身かと思っていたので…

まあでもそのかわり仕事面は押せ押せになっちゃうので最悪ですよ。入籍までの間にこんだけやることがあるとは思わなかった。奥さんも言ってますが、暇じゃなければ結婚とかできねーよ。式で何やるとか引き出物自分で作るとかどんだけ暇な人がやるんだよ。

昔、佐野(史郎)さんの結婚とかみてて、あれは確か映画公開のときだっけ、ああ人生のいいときに結婚というのはやるのだなあという漠然としたイメージがあるので、あんまりプライベート以外は充実していないときに結婚することになってしまって奥さんにも申し訳なく思うのですが、どん底のときに支えてくれる人が一番いいんじゃないかと思うしね、新生活を頑張っていこうとは思います。旧生活は捨てちゃうかもしれないけどね。

財布をわすれた

家を出てから途中で気がついたけど、少しお金がポケットに入ってたのでそのまま来る。なので、お金がなくて飲めないから帰ることにする。最近は歩いて移動しているので、多少お金がなくてもへっちゃら。

友達が日に日に減っているので、もうそういう意味合い(話す友達の確保)として結婚したい、けどもう友達女子の類は皆結婚してるか結婚考えてないという昨今。

いま過払い訴訟をやってるんだけど、上手くいけば借金は実質消滅するのでなんとか無くしたい。世の中借金があるとふつうに対象外なんだよね(前も書いたような気がする)。資産は土地くらいしか持ってないけどさ、借金あると人の意識の中では相殺されちゃうんだわ。

いちにち人としゃべらない日もあったりすると、こういう投稿で紛らわしてはいるものの、これがなかったら、ひがな一日反復作業をやってるのと何が違うんだろう。

後味の悪い辞め方

後味の悪い送別会とかが多くてなんともなぁという感じの昨今ですが、政治家みたいなもんで進退迫られたらしょうがないんでしょうな。自主的に辞めたことになってるけど。

最近は全うさせるまで働かしてくれないんで、適度なラインでいろんなことを考えないといけない。

むしろ去る人よりいつもより(上の人が座る)円卓のほうが寂しく感じました。いつも座ってた人でさえ大半の人たちは円卓が小さいと追いやられちゃいますからね。

人生の明暗を先輩方から見せられているような気がします。